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『MPのない音楽会Ⅶ 好敵手(ライバルズ)』
2017.1.29をもちまして完売いたしました
沢山のご来場、まことにありがとうございました
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次回作「MPのない音楽会Ⅷ(仮)」来冬発売予定
曲目:マリオカート8メドレー ほか
詳細は続報をお待ち下さい・・・

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ねるねるねるねは一度も買ってもらえなかったけどいまさら買おうという意欲はない

2016年12月11日
 昨日の練習日記を書こうと思い、「フーリエ変換の話とねるねるねるねの話と『吹奏楽サウンドかくあるべき論』終末論と各調擬人化トークと吹いてるわたし聴いてるわたし考察とおなじみトロンボーン漫談を聴いているうちに音が良くなる『しかしMPがたりない』の不思議」……について大真面目に下書きをしておりましたが、内容が内容だけに段々と怪しい勧誘じみてきてしまいました。

 そこで、ですます調が怪しさを増しているのかも!と文体を直してみたところ、これはこれで一体なんのブログなのだろうというものになってしまったので、一晩眠って考えた結果、自らボツにしました。

 ……と、思い切るにはすこしもったいなくて、追記にこっそり置いておくことにします。

 はてさて。
 「MPのない音楽会Ⅶ 好敵手」は2017年1月29日開催です。
 早くもツイッター上で「演奏会をやるようには見えない」と大評判のフライヤー、仙台市内各地で絶賛配布中!雪をも溶かすホットな演奏会、この冬も是非、えむぴにお付き合い下さい。
 以上、岩手支部からホルンのもなでした。








***以下、ボツにした下書き***









 演奏会まであと7週間「も」ある。うううん、どうにも待ちきれない気持ちだ。待ちきれなくって絶えず曲を聴いたり、楽譜を眺めたりしてしまう。
 ……わざとらしいかもしれないが、言い方ひとつで気分が変わり得るなら安いものではないか。「気分を変える」と言ってしまうとなんだか曖昧に感じられるけれど、たとえば「考え方を変える」「視点を変える」「切り口を変える」……お、なんだかそれっぽく聞こえてくる。なんにせよ物は言いようだ。
 師走も半ば、12月10日の練習は朝も9時から夕方5時まで。これだけ見ると合宿並みの練習漬けスケジュールだったが、とある大学の演奏会ゲネプロとブッキングしたこともあり、やや心細い人数での開始となった(最終的に20人弱というところだが、これで心細く感じるとは随分大所帯になったものだ)。
 本番も差し迫った土曜日。しかし少なめの人数を見た音楽監督の采配だろうか、基礎合奏は普段よりも幾分ゆるりとした雰囲気で始まった。そして午前中のほとんどは、楽器を口から離し、音楽監督の講釈に(あるいは自身の心と身体に)耳を傾ける時間となった。その一例を紹介しよう。

題目
・明るい音と暗い音について、また倍音とは何か(それはフーリエ変換についての解説を含むものだった)
・合わないときこそ思い切りよく吹くことの真意
・良きサウンドとはひとつの形に押し込められるべきものなのか、いわゆる「吹奏楽かくあるべき論」に対する反証
・演奏するときの「音楽」と聴くときの「音楽」はどこにあるのか(吹くことの身体的喜びの認識、あるいは「既に練られた『ねるねるねるね』」について)
・各調擬人化トーク
・トロンボーン漫談
・ゴジラ概説
・スターウォーズ入門
(このほか各種のロボットアニメ論と特撮論が講じられるのは最早定番だが、そのすべてに力強く頷けるだけの見識ある団員は少数であることを書き添えておく。)

 ……並べてみただけでは、これで練習になっているのか、という声が聞こえてきそうである。実のところ、さながら哲学の集中講義であり、ある種カウンセリングのようなやりとりであった。
 しかしそれにより、ある者は長年の疑問にひとつの答えを得、ある者は心に深く絡みついたトラウマがいくらか紐解かれる。そうして今ひとたび楽器に息を吹き入れると、まるで生まれ変わったようにサウンドは豊かに輝きを増すのだ(ひとつ、ここで書き添えておくべきことには、これらはとくべつ今日に限った試みではない)。
 さて、ここからはわたしの話になる。
 気付けば楽器を吹き始めてからの人生の方が長くなってしまった。これまでの何もかもが辛かったわけでもないし、一方で何もかもが楽しかったわけでもない。けれど、いったいわたしは何があんなに怖くて、吹いていたのだろう。ここ数年ふと、そんな風に思うことがある。それでも続けてきたことを、いま、よかったと思えている。それはこの楽団によるところも大きいし、わたしがすこし大人なったということでもあるのだろう。
 そしてまた、かつて頑なに縮こまったわたしが出会い、理解し合えず過ぎていったたくさんのひとを思う。たとえば寒空の仙台に、変わった名前の演奏会を聴きに来てもらえることがあるなら、拍手のギャフンと鳴るのを聞いて、「ざまあみろ」という音が出せるかしらなんて。
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