しかしMPがたりない 公式ブログへ ようこそ!

『MPのない音楽会Ⅶ 好敵手(ライバルズ)』
2017.1.29をもちまして完売いたしました
沢山のご来場、まことにありがとうございました
*完売のお知らせとクリア特典について→コチラ

次回作「MPのない音楽会Ⅷ(仮)」来冬発売予定
曲目:マリオカート8メドレー ほか
詳細は続報をお待ち下さい・・・

さいしょから
せつめいをよむ >「MP」のあらすじ >登場キャラクター

おぷしょん
ニコニコミュニティ >facebook
えむぴオリジナルカードゲーム >なかまになる

タイトルがめんへもどる
「しかしMPがたりない」のHP

みんな大好きえむぴ魂

2011年10月05日
代表のぢょんです。

今日は一応代表として、
今回の演奏会を通して感じたことを書かせて頂きたいと思います。

前回の演奏会後には、書こうかなーと思っていたところに、
音楽監督のまっちがえむぴ史に残る名文を上げてしまったので、
全く出る幕がなく沈黙していました。代表のくせに(笑)

今回、まっちに書けなくて僕にしか書けないものはなんだろう、
と考えた結果、MPの本当に本当の設立当初、
平成18年まで記憶をたどって書いてみることにしました。
というのも、実は設立当初から今までずっと現役で活動をしているのは、
もはや僕とClのむらおむら、Tpのゆうちゃんの3人だけ。
この3人にとって、MPの活動は今年で6年目。
何と、人生の4分の1をMPのメンバーとして過ごしているのです。
今書いていて自分でもびっくりしました。長っ。
この長い期間、MPとともに過ごしてきた人間にしか感じられないこと、
そんなことが書ければいいなと思っています。
もしかすると、団員向けの内容になってしまうかもしれません。

ということで、この文章もたぶん長くなります。
もはや僕個人の日記みたいになってしまうと思いますが、
どうぞお付き合いくださいませ。

僕がMPに入ったのは大学1年の夏。
大学の吹奏楽部では、毎年大学祭で、
「アンサンブル喫茶」なる店を出すことになっており、
部内は誰とどんなアンサンブルを組もうか、などという話で
盛り上がっていました。
そんなとき、たまたま仲のよかった前代表のひふみ氏が、
FFの曲をアンサンブルでやろうとしている、ということを耳にし、
「ねえ、フルートいないよね!? 俺もやっていい!?」
と、草食系(笑)の僕にしては珍しくしつこく迫って
仲間に入れてもらったのを覚えています。

初めて楽譜を渡されて吹いたとき。
「FFの曲がが楽譜になってる!」
それだけで感動したのを覚えています。
楽譜をなぞれば、大好きなあの曲が自分で吹けるのです。
少なくとも僕にとっては、
こんな楽譜を作ってくれるシダ様は間違いなく「神」でした。

本番の演奏は、正直に言ってものすごく下手くそでした。
テンポが揺れる。曲が止まりそうになる。
メロディーの音は緊張で震えている。とても歌うなんて余裕はない。
当時の僕は、まだフルートを初めて3年ちょい。
高校の先輩に教わっただけであとは完全に独学。
ビブラートすらかけられないお荷物奏者でした。

僕らの演奏もお粗末なものでしたが、
周囲の反応もなかなか冷やかなものでした。

「部活でゲーム音楽をやるとかバカじゃないか? 
 そういうのをやる場じゃないだろここは」

そんな空気が漂っていました。
実際に声となって、僕らの耳にも入りました。
練習場でアンサンブルの曲の練習するのにとても勇気が要りました。
譜面のタイトル部分を隠して、なるべく人が多い
ガヤガヤした時間に練習していたのを覚えています。

当時(といってもたった5年前ですが)はちょうど、
「ニコニコ動画」が流行り始めていたころで、
今ほどゲーム・アニメなどのサブカルチャーに対する
寛容さがなかったように思います。

2年目。3年目。
人数が増えて、サウンドが厚くなりました。
待望の女の子も入りましたw
(2年目までは男しかいなかったのですよ!!)
ニコニコ動画などの普及もあってか、単に部内で「先輩」になったからか、
割と周囲の反応も良くなってきていたように感じます。

4年目。
今まで団を仕切ってくれていたひふみ氏が引退。代表者を任されました。
僕を含め、中核メンバーのほとんどは今年で大学を卒業。
もちろん、部活も卒業となります。

「最後だから、最高のパフォーマンスにしよう」

その思いで、今までになく本気で、練習に励みました。
周りの目など気にするものか。
練習場で堂々と「魔界村」を吹き鳴らしました。
演出で使う紙芝居を、一人でせっせと作りました。

大学祭本番。
本来、サックス4重奏や金管6重奏などがゆったりと演奏する会場に、
混成16重奏という非常識な編成を引っ提げて、ドヤ顔で入場。
・・・あれ、おかしいな。
お客さんがたくさん入ってる。満員じゃないか、これ?
よく知った後輩たちが、期待した目で見てくれている。

・・・ああ、いいなあ。

もっとやりたい。
卒業しても、やりたい。

そう思ったのはどのタイミングだったのか、もう忘れてしまいました。
でも、そう強く思ったのです。

正直な話、一般団体化の話を皆に持ちかけたとき、
反応はあまりよくありませんでした。
「人数がたりないなら入ってもいいよ」
そんな意識の人は入れたくなかったから、
敢えて個別のアプローチはせず、返事を待つ形にしました。
でも、1週間たっても2週間たっても結局ほとんど返事はこない。
僕の独りよがりだったのだろうか。そう思って落ち込みました。
(ちなみに、このとき真っ先に「俺はやるよ」
 と言ってくれたのがObのよっしぃでした)

結局、個別に声をかけてメンバーを集めることにしました。
最初のうちは、とにかくミーティングばかりだったように思います。
活動内容は。ホールを借りるのか。練習場所はどうする。
指揮者は置くのか。

そう、当初は指揮者を置かず、
アンサンブルとして続けるという路線もあったのです。
しかし、人数も20人前後まで増え、
もはや指揮なしで演奏をするのは無理だろう、
という結論になり、皆でまっちに指揮をお願いしました。
結局、かなり渋った末、

「メトロノームの代わりくらいなら」

と言って、彼はOKしてくれました。
このときの彼の言葉が、実にMPの本質を見抜き、
MPのことを真剣に考えてくれた上での言葉であったか、
僕が本当に気付かされたのは、ずっと後になってからのことでした。

第1回の演奏会は、正式発足からおよそ10か月後。
そして今からたった8か月前の、1月16日。

本当に、手探りという言葉がぴったりでした。
正直なところ、本当に演奏会として形になるんだろうか。
本番の様子が全くイメージできず、現実感のないまま本番を迎えました。

280席の小さいホールは、お客さんでほぼ満席のように見えました。
おかしいな、知らない顔がたくさんある・・・。
てっきり知り合いしか来ないと思っていたのに。

自分たちの大好きなゲーム音楽が、ホールに響いている。
それだけでもう感動でした。
誰かの作った舞台じゃない、
自分たちがゼロからつくった演奏会をやっているんだ。

指揮者のまっちが泣きながらタクトを振った任天堂メドレー。
そしてアンコール。拍手。
ドヤ顔で起立。
誇らしさと充実感でいっぱいでした。

「ああ、演奏会ってできるものなんだ」
単純にそう思いました。



3月11日。震災。活動休止。

そこから2か月。活動を再開。
そこからの滑り出しは好調だったと思います。
演奏曲をカットし、改めて編曲作業をスタート。
演出内容も、徐々に固まっていきました。
そして、新メンバーが次々と加入。
一時は毎週のように見学者が来て、
毎週のように新メンバーの自己紹介をやっていた時期もありました。

表面的には、とても上向きに見えました。
しかし、一部のメンバーは、
敏感にどこか違和感を感じ取っていたようです。


7月。それは突然の問題提起でした。

「練習が楽しくない」

一部の古参メンバーが神妙な様子で発したその言葉は、
何となくもやもやした感じを抱えていた
他のメンバーの腑にもすっと落ちたようでした。

うまく言えないけれど、なんか最近楽しくないような気がする。
よくわからないけれど、なんか最近雰囲気が悪いような気がする。
どうしてかわからないけど、なぜか最近音が合わない。

何でだ。

人数が増えて、バランスが崩れたからか。
音楽的な完成度を追求しすぎて、自由さを忘れてしまったからか。
指揮者に頼りすぎて、プレイヤーの主体性が薄れたからか。
(いつの間にか皆、指揮者のいる状況に慣れ、
まっちをメトロノームでなく、普通の指揮者として
見るようになってしまったのです)


徹夜で議論しました。
音楽監督が緊急生放送をやりました。
別の団員が、反論文を共有文書に載せました。
そこからまた議論になりました。
合奏の時間を割いて、ミーティングを開きました。

みんなの言うことは、それぞれ正しく、どれも間違っていませんでした。
で、結局どうなったかというと、
これは演奏会2日前のブログにもな嬢がとてもうまいこと書いてくれています。

『この数ヶ月間、私たちは、「『しかしMPがたりない』とは一体何なのか」を、自問自答したりしなかったり悩んだり悩まなかったり考えたり考えなかったり……なんかめんどくさくなってきたから早く帰ってゲームやろうぜーえ、超魔界村やったことないの!?じゃあやってみようよーって、うっわwwwwwへったくそwwwwまず前に進めないとかwwwwww……みたいな日々を過ごしてきました。』

これ以上的確な表現を僕は知りません(笑)

この問題が解決しなければ俺はMPを辞める、
とまで考えていた団員もいました。
同時に、特に私は何も考えなくても楽しく吹けてたから
不満はないんだけど…?という団員もいました。

ただ、これを機会にMPの皆の間に、
奇妙な信頼関係ができたのは間違いないと思います。
そして残り2か月、その後も様々な紆余曲折を経ながらも、
それは確かな力を持って色々なものを巻き込んでいき、
とてもいびつで不格好で、
それでも誇らしげに輝く大きな塊になりました。

みんな大好きえむぴ魂。

偶然誰かが思いついて、
たまたま語呂がいいから採用されたタイトルが、
こんなに深い意味を持つとは誰が想像しただろうか。
結局それがなんなのかは、よくわからないけれど。


演奏会が終わって1週間。

正直なところ、僕は当初、この演奏会は代表の僕や指揮者のまっち、どっきーなど、
沢山タスクを抱えてる少数の人間が身を削って頑張ったから、
何とか形になったんだ、なんてことを思っていました。
ついさっきまで思っていました。

でも、この文章を書きながら、
本番のアンコールでの空気、打ち上げでの皆の涙、
そして合奏や準備の一つ一つが思い出されてきて、
それはとんでもない思い上がりであったと感じました。

僕が改めて思うのは、あの演奏会は、
本当にこのメンバーでしか作りえなかったものであるということ。
古参メンバーだろうが今年入ったメンバーだろうが、
係についていようがいまいが。

普段は目立たないけれど、要所要所でうまいフォローを入れてくれたやつがいた。
みんなが言いにくいことを、あえて鋭く指摘してくれたやつがいた。
何も言わずに、みんなの雰囲気を良くしようと動いてくれたやつがいた。
常に自分のペースを崩さず、
えむぴの自由な雰囲気を確実につくってくれていたやつがいた。

一人一人の顔を思い浮かべてみて、やはり誰か一人が欠けても、
あの演奏会は作りえなかったのものだと、悟った。

今回、これも一興と軽い気持ちで、設立当初からのことを思い返してみた。

(自分で言うのもなんだけれども、この文章には実に脈絡がない。
なんだ前半部分の膨大な回想シーンは。
団のブログをチラシの裏代わりに使ったことをお詫びしなければならない)

1年目、2年目、3年目。
大好きなゲーム音楽が吹ける、ただそれだけが楽しくて、
もっとうまく吹きたい、僕らの大好きな音楽を認めさせたい、
それだけの思いで楽器に向かっていた。

4年目、5年目、6年目。
どうすれば、もっと質の高い練習ができるか。
お客さんを唸らせる演出ができるか。
それを実現させるための組織体制は。タスクは。
ビジョンを描く。それを実現するための効率的な方法を考え、実行する。
そのことにひたすら腐心していた。

そして今。
これまでの僕は、なんとまあ、
狭い範囲でしか物事を見ていなかったのだろうか。
周りには、こんなにも一生懸命でニクイ仲間たちがいるというのに。

自分が6年間、ともに歩んできたMPというカゴが、
こんなにも人を惹きつける場になったことを、心から誇りに思います。

そして、そんな場をこれまでつくってきてくれた
メンバーひとりひとりを、今、尊敬せずにはおれません。


みんな大好きだ。



最後に。
演奏会の挨拶でも述べましたが、
MPはまず自己満足を大前提とする団体です。
(どうでもいいですが前日に決まったんですよあの挨拶。
 したがって内容は全部アドリブです)
お客さんの満足は二の次。僕ら自身が楽しむのが先。

でも、やっぱり私たちの自己満足も、
演奏会を聴きに来てくれるお客さんは勿論、
応援してくれる方々、
練習場所や楽器を貸してくれる方々、
その他演奏会に協力してくれる方々、
周りの色々な方がいてくれて、初めて成立するものなのです。

この場を借りて、心から御礼申し上げます。

これからも、「しかしMPがたりない」をよろしくお願い致します。
スポンサーサイト
Comment

管理者のみに表示